外国人が日本でライブのチケットを買うと迷宮入りする。

クレジットカード情報をサイトに入力するだけで簡単に買えると思うかもしれないが、そうはいかない。チケットぴあ、ローソンチケット、e+(イープラス)、Livepocketなど、複数のチケットサービスがひしめきあっている。行きたいライブのチケットをどのサービスが扱っているか確認すると、それが1つだけのサイトで売られていることもあれば、ありとあらゆるサイトで販売されていることもある。また特定の携帯会社のプランに加入している人だけが購入できる場合もある。
さて、運よくチケットを買える状況にあなたがいるとしよう。そうなるとアカウントを作成する必要があるが、そもそもアカウントが作成できるのは日本在住者でなければならない。つまり、わざわざ海外から飛行機や宿泊を手配して好きなバンドのライブに行こうとしても、日本在住の知り合いがいなければ、チケットすら買えない。
そして友達の住所を借りるなりして住所を入力すると、次に電話番号の入力が待っている。僕が留学生で日本にいた頃、データ通信専用のSIMカードしか持っておらず(今どき電話番号が求められることがあるなんて思わないし)、日本のあらゆるところで電話番号を求められて困ったので、次に引っ越して来たときはすぐに電話番号を契約した。
ようやくチケットを購入できる準備が整った!
好きなバンドが大人気でなければ特に問題はない。問題なのは、どのバンドのチケットも毎週決まった時間に一斉に発売されることだ。日本のネット回線は軟弱な技術で支えられているので、この現代にも関わらず販売開始と同時にサイトがフリーズする。 「アクセスが集中しています」というメッセージが表示され、ページをひたすら更新し続けるしかない。そして、ようやくページに辿り着けたとしても、購入手続きを進めている最中に再びエラーが発生し、最初からやり直しになることもある。そのせいで、最終的にチケットを逃してしまうこともある。
ついに支払いページまでたどり着いた!あと1箇所を入力すれば、チケットが手に入る!…と思って安心してはいけない。カナダのちんけなクレジットカード情報を入力すると、エラーが表示される。「海外のクレジットカードは使用できません」。そう、君はVPNやフェイクの住所で巧妙にくぐりぬけてきたかもしれないが、最後の関門である「海外クレカの鉄壁の守り」に阻まれるのだ。もしかすると、日本の銀行と手を組んでクレジットカードを発行できるほど安定した職と収入がある「長期滞在組」なら悩む必要はないのかのしれない。しかし、そんなまっとうな人間ではない僕たちに残された唯一の手段は、コンビニ支払いだ。

小銭をポケットで鳴らしながら、近所のセブンイレブンへ向かう。バーコードを見せると、店員はすぐに察して手続きを進めてくれる。場合によっては、e+(イープラス)で注文するときに「サイトではカード決済不可だったのに、なぜか店で支払う時はカード払いOK」みたいな謎の現象が発生することもある。たぶん不正防止の仕組みなんだろうが、そんなことはどうでもいい、とにかくチケットが欲しいんだ!現金でもカードでも支払えば、店員がその場でチケットを印刷して手渡してくれる。絶対になくしてはいけない。再発行はできないし、デジタルチケットが普及し始めたのはほんの最近のことだ。昨年25回以上ライブに行ったが、デジタルチケットだったのはたったの1回だけだった。何はともあれ、僕はついにチケットを手に入れた。これでライブに行けるってことだ!


でも、日本で初めてライブに行ったとき、こんな手続きはしなかった。というか、やり方を知らなかった。チケットの転売がグレーどころかほぼ違法だということも知らず、ごく自然にそういう"非合法っぽい"サイトを使い、通常価格の3倍(5000円×3=1万5000円!!)で購入した。なぜなら、これがThe Pillowsを観る人生で最初で最後の機会になると思っていたからだ。

2018、僕は交換留学生として日本にいた。そして、1万5000円もの大金を払って手に入れたチケットを握りしめ、渋谷クラブクアトロへと向かっていた。そのライブハウスは、なぜかGUというファストファッションブランドのビルの上にある。階段を上がり、緊張しながらチケットを差し出す。おそらくチケットには「田中大輔」みたいな名前が印刷されていたはずだが、受付のスタッフ(たぶん僕と年齢があまり変わらないくら伊だったと思う)は、僕の明らかに日本人ではない手と、そのチケットの名前の矛盾について何も言わなかった。
「ドリンク代500円です」
「いや、大丈夫です。飲み物はいらないので」
「ドリンクチケットを買ってください」
「いや、本当に大丈夫です。飲まないと思うので…」
「買うルールです」
このやり取りは、東京のライブハウスで、僕みたいな外国人とスタッフの間で無限に繰り返されているに違いない。「ドリンクチケットは必須」それがライブの告知にも書いてあるし、習慣だし、ライブハウスの重要な収益でもある。仕方なくポケットの中をあさり、500円玉を取り出して支払う。ロビーとバーを見回す。レンガ風の内装が地下にいるような錯覚に襲われるが、ここは渋谷のビルの5階だ。
渡されたドリンクチケットは、ラミネート加工された小さな紙だ。それをバーのスタッフに差し出し、ビールと交換する。開場と同時に入ったはずなのに、すでに会場はギュウギュウだった。それから何ヶ月も経った後に、The Pillowsにはファンクラブがあり、会員なら最速でチケットを手に入れられることを知ることになるのだが、そもそも当時の僕は、通常のチケットの買い方すら知らなかった。

メインフロアへと流れ込む。観客全員が、それぞれ微妙に違う色合いの見た目は大して変わらないタオルを肩にかけている。さっき物販ブースで、赤と青のやつが売られているのを見た。タオルにはバンドのロゴと「CAN YOU FEEL THAT HYBRID RAINBOW」の文字。そしてみんな、これでもかというほど年季の入ったTシャツを着ている。まるで、誰が一番古参のファンか競い合っているようだ。Tシャツには、The Pillows 15th Anniversary Special Live、 Do You Remember the 1st Movement? 、Thank you, my twilight Tour 2003、Arabaki Rock Festival 08、Lostman Go To City 2006。いろいろな時期のライブのタイトルが刻まれている。
僕はというと、ただのシャツにカーディガンという完全に場違いな服装をしていた。
このライブは、新アルバム「Rebroadcast」のリリースのためのツアーの東京初公演だった。最初に「The Pillowsは僕の一番好きなバンドだ」と言ったけれど、2018年当時は一番好きな「日本の」バンドという感じだった。これは、高校時代に夢見ていた「彼らのライブを観る」という願いを叶えることに意味があった。君なら「フリクリ」のことは知ってるはずだ。 たった6話のOVA。制作はガイナックス。監督は鶴巻和哉。そしてサウンドトラックは全編The Pillows。
2013年、15歳の時、ある女の子に「Tumblrのアカウント作ってみたら?」と言われ、言われるがままに作った。
彼女とはその後話さなくなったが、Tumblrはそのまま使い続けた。あの頃のTumblrには、アニメのGIFを作るという流行りがあった。そしてそれは、ただの遊びじゃなく、繊細さが問われる作業だった。フレームレートを正確に調整しなければならなかったし、解像度を完璧に仕上げなければならなかった。選ぶシーンはもちろんセンスが問われる。この「アニメTumblr」と呼ばれたコミュニティは、ティーンエイジャーと20代の若者たちで構成されていて、今思えばそんな年齢層がTumblrに張り付いてるのってどうなんだ? って話なんだけど、そのときの僕は夢中だった。そして、このコミュニティを通じてフリクリと出会うことになる。

足は肩幅。脇を固めて敵を撃ち抜くように。ここ、小指は大事なんっすよ。そんでもって、打つべし、打つべし、打つべし!で、カキーン!

クラブクアトロのフロアで、ビールをちびちび飲む。公式サイトには最大750人収容と書いてあったが、どう考えても数百人規模にしか感じられないし、広いとは言い難い。フロアのど真ん中には巨大な柱がそびえ立っていて、誰もその後ろには行きたがらない。僕は背が高いから、どこにいても見えるし、後ろの方にいても問題ない。でも、そろそろ開演の時間だ。FLCLのあの曲を演奏してくれるだろうか?ラスト・ダイナソー?ワン・ライフ?ハイブリッド・レインボー?楽しみだ!

会場が暗くなり、観客が一斉に沸き立つ。全員が一気にステージ前に押し寄せる。彼らのライブではお決まりの曲が流れ、みんな手を叩き始める。暗闇の中、ついに来るぞ……!山中さわおは相変わらずの無造作ヘア。真鍋はさっとピースサインをキメる。最年長っぽいのシンちゃんは、まるでおじいさんのようにドラムに腰を下ろす。そして、サポートベーシストの有江が登場。当時の僕は知らなかったが、The Pillowsには固定のベーシストがおらず、有江がもう何年もサポートを務めていた。メンバーは手早くチューニングを済ませ、音が出るか確認すると、さわおさんがマイクに近づいて「OK?」と尋ね、演奏が始まる。1曲目は、新アルバム「Rebroadcast」のタイトル曲だった。

嘘だろ? 目の前に本物がいる……!
高校時代、小さな画面越しにミュージックビデオ、ライブ映像、何度も何度も繰り返し見ていた。あのThe Pillowsが、今、ここにいる。目の前で演奏している。マジかよ……!?頭が追いつかない。One Lifeのライブ映像を見て、泣きながら「一生ライブなんて観られない」と思っていた15歳の僕に「お前は生で観れるんだぞ」と言ってやりたい。
ほら、今、すぐそこのステージにいるんだ!と考える暇もなく、次の曲が始まる。I Think I Canだ。フリクリを観たことがある人なら、絶対知ってるはずだ。この曲だ。最終話のクライマックス。アイツの額からギターが飛び出し、空を舞う。アマラオが必死に止めようと叫ぶ。そして、あの最後のハル子とのやり取り。うおおおお!!!!今、目の前でこの曲が演奏されているぞ!!!!


2013年の夏、トルコのイズミルは暑かった。祖父母のマンションで祖父母を含めた家族全員で過ごすには狭すぎた。僕にとって唯一の休息は、みんなが寝静まった後に、リビングルームの暗闇の中、ただ一人、ノートパソコンの画面を見つめることだった。 こちらでは深夜でも、カナダやアメリカでは、アニメTumblrが最高潮に盛り上がる時間帯だ。フリクリを初めて観てから、半年くらい経っていた頃だろうか。あの衝撃的なサウンドトラックが忘れられず、ずっと聴いていた。そしてその時、僕はLast Dinosaurのライブ映像を観ていた。バンドメンバーは今より少し若くて、彼らが作った曲の感情を忘れていない頃だ。そこに彼らがいる。画面の向こう側に。The Pillowsに続いて出会った日本のバンドたちも、僕にとっては同じだった。きのこ帝国Number GirlTokyo ShoegazerCoaltar of the DeepersMass of the Fermenting Dregs…… どれも画面の向こう側に存在する世界だった。僕の彼らとの接点は、完全にバーチャルなものだった。
きっと、世界中のファンも同じように彼らを知ったんだと思う。

これらのバンドが今もなおライブをして、新しい音楽をリリースし続けているのに、自分との間にはただ海が横たわっているだけ、そんな気持ちだった。
彼らはまるで別世界の存在で、パソコンの画面の中にいて、iPodの中にいて、Bandcamp(音楽の販売や配信を行っていたプラットフォームのこと)のライブラリの中にいる。日本のバンドについては、国内ですらまともに残されていない。それが海外となればなおさらだ。彼らに関する情報は、「口承伝承」のようなものになっている。
「どのライブハウスで誰がどんな曲を演奏したのか」「どのバンドが解散して、メンバーはどこへ行ったのか」「流行を作ったのは誰で、誰がそれをパクったのか」「くるりからASIAN KUNG-FU GENERATIONへと続く流派、そしてそこから派生していった無数のボサボサ頭が歌うロック」そういったものは記録として残るのではなく、あくまでその場にいた人の記憶として語り継がれていく。海外のファンにとって、これはまるで死海文書のようなものだ。 言語の壁、断片的にしか存在しない情報、英語のどこかのサイトに書かれた投稿、バンド名すらまともに発音できないYouTuberたち。そんなものを頼りに、手探りで理解するしかない。世界において、日本のバンドが文化的な存在感を持つことはほぼ皆無だ。自称音楽オタクがYMOについて敬意を込めて語るくらいの価値しかない。これは映画学科の学生が「アキーラクロサワ」としか発音できないくせに、その人の作品がいかに偉大か語るようなもんだ。要するに、これらのバンドは日本の外では存在していないも同然なんだ。

だからこそ、さわおさんがステージに現れた瞬間のあの感覚は、まさに浮足立っていたと言えるだろう。海を越え、 日本のチケットサービスの障壁を乗り越え、独特のルールがあるライブハウスの習慣を理解し、まるで偉業を成し遂げたかのような気分だ。そしてその先に待っていたのはCDを売って生計を立てるのもやっとな、年老いた男たちが必死でギターを弾く姿だった。
これこそが、日本でライブを観ることが特別に感じられる理由だ。こうした習慣や手順の数々は、まるで“本気じゃないヤツ”をふるい落とすために存在しているかのように思える。これは日本のあらゆるライブやパフォーマンスに共通することだが、ライブハウスでは携帯での録画が禁止されている。(インディーズバンドのライブでは、宣伝のためにむしろ撮って欲しいということもある)。この文化は、トロントの大きな会場でのライブとはまるで正反対だった。向こうでは数えきれないほどのiPhoneが並び、ズームインして撮影された粗い映像でGorillazの「Clint Eastwood」を録画しようとする。だがクラブクアトロでは、全員がThe Pillowsだけを見つめている。ここには、観客とバンドだけがいる。この瞬間こそが、「ライブ」なのだ。
そもそもなんでThe Pillowsなんだろう?なんでこんなにも無難なロックバンドで、(例えばBorisとかの熱狂的なファンになるわけじゃないんだろう?)正直よくわからない——彼らの作り出す音楽が、僕の求めるサウンドの原点みたいなものかもしれないし、「もしビートルズが日本のバンドだったら、こういう感じだったかもしれないな」と言った父の影響かもしれない(僕の父の一番好きなバンドはビートルズだ)。しばらくの間は、歌詞が理解できないからこそ、Oasisや当時のロックバンドの自分に酔った歌詞を聞かなくて済むからなのかと思っていたけれど、歌詞の意味が分かるようになっても何も変わらなかった。結局、ずっとThe Pillowsなんだ。もし僕のiPodを開いたら、メニューはすでに彼らのアルバムリストのところで止まっているし、MP3を再生回数順にソートしたら、1996年から2001年までの黄金期の作品が並ぶ。僕が作るもののキャラクターの名前や地名と照らし合わせれば、ほぼThe Pillowsの楽曲タイトルに行き着くはずだ。言葉にするのは難しいけど、簡単に言うなら、「しっくりくる」んだ。僕という存在のすべてをつなぎ合わせてくれる、そんな音楽なんだ。
その後、僕は再びカナダへ戻り、やがてパンデミックが始まって、僕の世界は再び自分の部屋だけになった。残されたのはあの三人の男たちがステージに歩み出る姿の思い出だけで、思い出すだけで笑顔になっていた。それはどんなライブDVDでも再現できないし、どれだけノートパソコンの画面に映る映像を見つめても得られない、僕だけの、かけがえのない記憶。僕のものであり、僕だけのものだ。
僕は自転車をガレージから出して、タイヤに空気をいれる。この赤い化石のような自転車は昔、父のものだった。僕の背が伸びてこの自転車に合う大きさになったとき、父から僕のものになった。僕のものになってからの方が長いのに、「大人向けの自転車」という感覚が消えない。父の自転車に乗って、2020年の街を下る。もう何万回目だろう、通った小学校、中学校の前を通り過ぎ、大学を越えて、どこまでも行けるだけ行く。きっと途中で、帰らなきゃいけないことが面倒になるだろう。それでもいい。22歳になり、世界と向き合う準備はできているはずなのに、世界は僕を受け入れる準備ができていないように感じる。iPhoneのスピーカーから「Patricia」が流れる。その音を全開でトロントの空っぽの街に響かせる。雲が、初めて中野駅で降りたときのように開ける。そして思い出すのは、The Pillowsのこと。20歳の時、東京で出会ったロックバンド、そして13インチのノートパソコンで祖父母のアパートで観たアニメ『FLCL』のサウンドトラックを担当していたバンドでもある。その時の気持ちは、完全に上書きされている。僕は自転車を漕いで、雲の方へ向かう。これからの世界がいいところでありますように。

翻訳:神原桃子
投稿日:2024年8月4日
日本語版:2025年4月6日
監修:アマスヤ・デニズ