13歳ぐらいの時にGaia Onlineという日本のアニメをテーマにした掲示板みたいなところにちょっと変わった投稿をしたことがある。頑張って探せばまだ見つかるかもしれない。
今回はその投稿について話そうと思う。
学校からの帰り道、あの行き止まりの通りを通り過ぎた。その頃はちょうど秋が始まったばかりで、僕は新しく買ったばかりでお気に入りのフォレストグリーンの上着を着ていた。ミリタリーっぽいデザインで、廃れないデザインのやつ。でもその数か月後、そのお気に入りを着て家族とビーチに出かけたら、鳥にフンを落とされた。それはなにかのバチがあたったんじゃないかってくらいにショックだった。
頭には新しいSkullcandy(そういうヘッドフォンのブランド)っぽいデザインのヘッドフォンをつけて、最新のGorillazのアルバムを聴いている。このバンドを知ったのもGaia Onlineがきっかけだった。ある友達が、今まで見たことのないようなすごいイラストを描く人で、しかも僕より年上で、何もかもがカッコよく見えた。その友達が勧めるアルバムなら、何でも聴かなきゃいけない気がした。
とにかく早く家に帰ってGaia Onlineにログインしたくてたまらなかった。年齢を盛って、自分は日本に住んでいることにして、夢にまで見たゴス系の可愛い彼女がいることにして……ネット上ではそういう嘘をたくさんついていた。それは悪意があったとかではなく、友達とのやりとりを続けるために必要なことだったし、いつか本当にそんな人になれるんじゃないかと願ってのことだった。だから、それは嘘というより、目指している未来の自分を先取りして語っているような気持ちだった。
そのとき、ふと行き止まりの通りをのぞくと、一人の男がフェンスを飛び越えようとしていた。そのフェンスの向こうには、僕の住む街を貫く大きな谷が広がっている。その男は僕より少し背が高く、ぼさぼさの茶髪にまばらなヒゲ、眼鏡をかけていた。何より気になったのは彼がボロボロのチェック柄のVansを履いていたことだった。なぜなら「大人の男が履くには、ちょっと変じゃないか?」と思ったからだ。というのも、僕の中でチェック柄のVansは13歳の自分が履くものだったからだ。実際に13歳の僕も履いていたし、GorillazのNoodleも「DARE」のMVで同じ靴を履いていた。2010年の時点ですでにチェック柄のVansは定番だったし、今もずっと廃れないデザインってことは分かっている。それでも、そのときの僕には違和感があった。そして「この男は未来の僕なんじゃないか?」という考えが頭によぎった。
ただ「似ている」とか「こんな風になりたい」とか、そういうことじゃなく、10年、もしくは15年後の僕が時空を超えてここに現れたんじゃないか、という妄想が膨らんでいった。すれ違いざまに、未来の自分の顔をじっと見ようとする。彼は何かを伝えに来たのかもしれない。僕は何か声をかけるべきだろうか? でも話しかけたら、何かよくないことが起きるかもしれない。結局、未来の僕と思しき人は何も言わず、ただ歩き去っていった。僕はそんな彼の人生を想像しながら家へ向かった。
帰宅後、すぐにGaia Onlineにログインし、この体験について投稿した。タイトルは「これってマジ?!?!?!?」みたいな感じだったと思う。すぐにコメントがつき始めた。当時はGaiaのユーザー数がめちゃくちゃ多かったからだ。4chanとTumblrの対立が起きる前(海外ではそういう時期があった)、ネット上のイケてるサブカル系が集まる場所といえばGaiaだった。僕が中学生のときに憧れていたのは、どこか気だるそうな雰囲気で学校の西側の階段にたたずんでいた大人びたグループだ。ヘアアイロンでまっすぐに伸ばした髪と、アメリカから手に入れたHot Topicのトリップパンツを履いたグループ。現実世界ではそうなれなくても、ネットの世界なら彼らの仲間入りをすることができた。
誰も僕の話を信じてくれなかった。でも僕は「あれは絶対に僕だ」って言い続けた。だって、あんな風にチェック柄のVansを履くのも、絶妙にだらしない雰囲気を醸し出せるのも僕だけだと思う。なんというか、直感的に「わかる」感覚があった。みんなもそういう経験があるはずだ。 たとえば、家族の誰かが近くにいるって直感的に分かったり、家に来る予定の友達がそこまで来ていることを直感でわかったりするような、あの感覚。僕は「この感覚を証明できないなら、否定だってできないはずだ」ってひたすらキーボードを叩き続けた。
もちろん、全部嘘八百の作り話だった。
でも、それがGaia Onlineの楽しさでもあった。
そして2023年、全てが現実になった。どうやら諦めずに嘘をつき続けると、それはいつか現実になるらしい。なんか不思議なことだけど。
僕は26歳になったし、本当に東京に住んでいるし、当時言いふらしていた年齢になった。あの頃夢見ていたゴス系の彼女はいないけど、想像していた通りの恋愛は一通り経験してきた。
子供の頃欲しかったゲーム機は大小にかかわらず、すべて手に入れた。日本語も習得して、Google画像検索で表紙だけ眺めていた本や漫画を実際に読むところまで到達した。
僕は幼かった頃の理想を叶えつつ、なんとか社会人として機能する一人前の大人になった。
この話は、そんな"思春期の妄想が現実になった"物語だ。とはいえ、なにか特別なことが起きるわけじゃない。
その日は、いつもと同じで特に変わり映えのない日だった。
東京のどこともつかない街を歩きながら、家に帰るまでの時間を引き延ばしていた。本屋、ゲームセンター、リサイクルショップ……理由はなんでも良かった。
たどり着いたのは武蔵小山の商店街。品川区の片隅にあるこの場所に、海外からの観光客が足を踏み入れることはない。たまに見かける外国人といえば、子供連れでクーポンを使うためにファミレスに入るような人たちだ。結局みんなどこかでギリギリの生活を送っているんだ。
僕は一通り古着屋系列の店を回る。ブックオフ、ホビーオフ、ハードオフ。そしてモードオフで、2023年版にアップデートされた、流行り廃りのない緑の上着を探そうとした。何着か試してみたけど、全部「ミリタリー」コーナーに集約されていて、なんだか違うなと思って、探すのは諦めた。後味は悪いけど。
それから、靴屋に入る。チェーン店だけど、古着屋じゃない。ふらっと入ると、少し若い男性の店員が声をかけてきた。
「何かお探しですか?」
「そうですね、スニーカーを探してるんです」と僕は答える。
「今、Vansがすごく人気ですよ」と彼が言う。
「Vansは長いこと履いてないんです」と僕。
「どうしてですか?」
「足専門医(海外にはそういうのが存在する)が言うには、カーブのない靴を履き続けると、70代になった頃に脛骨が脛を突き破って、一生歩けなくなるらしい。だから、常に足裏がカーブに沿うように、インソールを使ってるんだけど、Vansみたいなフラットな靴とはあまり相性がよくないことに気がついて」
少しの沈黙が流れる。
「日本語、とてもお上手ですね」
「ありがとうございます」
「実は、最近のVansには新しいタイプがあって、以前よりクッション性が高くなったんです」
「それなら、ちょっと見てみようかな」
彼はバックヤードへ行き、Vansの箱を持って戻ってきた。箱を開けた瞬間、まるでインディ・ジョーンズの黄金の秘宝を目にしたような気分だった。なぜならそこには中学時代に履いていたチェッカーフラッグ柄のVansがあったからだ。履いてみると、確かに前のやつとは違う。ソールは柔らかくなっているし、内側の色も変わっている。でも、見た目には昔のものと変わっていないように見える。
「うわっ、中学の時のやつとほぼ同じだ」
「昔からいいセンスだったんですね。履いてみます?」
「じゃあお願いします」
履いていた靴の靴紐をほどいて、おっさんが履いてそうなインソールを取り出して、左右を確認しながらVansの中へ入れる。そして、靴べらを使って履くと、僕の足はまた、GorillazのNoodleが履いていた靴と同じ靴を履いていた。
買います、と言おうとしたが店員はもういなくなっていた。
気付けば僕は深い深い森の中にいた。そこには、中学時代によく座っていた石がある。僕はそこに座りながら、夢に見たゴス系の女の子に出会い、僕の憂いを帯びた魅力の虜になることを願っていた。具体的な名前はチャッツワース渓谷。中学校の周りにあって、僕の住む町を通り抜ける渓谷だ。両親は不良がドラッグをやる場所、早熟な子たちがセックスをする場所、そして行けば警察に捕まるような場所、だから行くなと言っていた。
実際のところ、そんな大げさな場所ではなかった。コロナ禍、僕はこの渓谷を何度も歩き、この町で好きになれるものを探していた。でも結局見つかったのは、犬の散歩をする人たちと、誰にも迷惑をかけず一人でマリファナを吸う子どもくらいだった。幼い頃にはものすごく危険な場所に思えたこの渓谷も、今では隅から隅まで記憶に刻まれた、ただの道にすぎなかった。橋に描かれたラクガキまでも、すっかり馴染みがあるものに思えてきた。
冷たい風が吹き抜ける痛みとともに、どこか懐かしさを感じる。カナダの育ちの僕に、その日の東京の気温は「暖かすぎた」ので、セーターしか着ていなかった。無意識のうちに暖かさを求めて、中学校へと続く道を辿っていた。
成人男性が学校のある森を一人でうろつくのは、決して良い印象を与えないということは想像にかたくないだろう。だから駆け足で校庭を通り抜け、渓谷へと繋がる道を目指す。学校のそばには渓谷へと戻る坂道があるが、子どもたちが入り込まないように鉄の門が設置されている。それに、たぶん誰かの私有地でもあるのだろう。コロナ禍は、マリファナを吸う若者を締め出す必要もなかったため、その門は開いたままになっていた。だから僕はこの道を何度も歩いた。だが、かつて目を凝らして見ていたはずの丸く並べられた丸太や、その周りに散乱していたビールの空き缶が、今はどこにも見当たらない。そういった小さな楽しみをロックダウン中に見つけようとしていたティーンエイジャーの痕跡を覚えている。なぜなら、その光景を目にするたび、あの中学時代を経験できなかったことを残念に思ったからだ。インターネットにまみれて思春期を過ごしたことは、本当に良かったのだろうかと、何度も考えた。そして、上を見上げ、急な斜面の上を見る。以前、そこにはこの鉄の門を設置するよう働きかけた張本人たちの大きな家が並んでいるはずだった。でも、何かがおかしい。家がそろっていない。残っている家も、かつてのような立派な造りではなく、新興住宅地に立つ真新しい家よりみすぼらしく見える。そして、僕は全てを悟った。それはつまりこの物語が向かう先、その結末だ。あそこに並んでいた家に何が起こったのかを確かめるために、急ぎ足で坂を上り、通りへと向かう。求めている答えと僕の間にあるのは、渓谷と通りを隔てる一本の白い柵だけだ。
そして僕は迷わず柵を飛び越え、通りへと転がり出る。ボロボロの、みすぼらしい姿で。
そこに彼がいた。
彼は僕が今まで見た中で一番イラついてるんじゃないかって感じの子供だった。立っている時の姿勢は妙に何かを意識してるように見えた。背筋が伸びているわけでもないが、かといって猫背でもない。ピッタリのサイズ感のヘッドフォン、うねり毛でもないが、ダサすぎるわけでもない。彼は前髪をいじって、額のニキビを隠す。それだけでは飽きたらず、首を小さくひねりながら髪をサッと流す。キマッて見える速度にまでこだわっているのが見て取れる。その直後、彼はほんの一瞬不安そうな顔をする。今の、ジャスティン・ビーバーの真似だと思われるんじゃ……?と思っているのが丸わかりだ。(2010年の世界において、それは何より最悪なことだった。)彼は安っぽいH&Mの緑色のジャケットの襟を隠しさないように、ショルダーバッグのストラップをぐいっと引き上げる。明らかにそのバッグは大き過ぎると思うけど。
次に聴く曲をiPodで選び、両手をポケットに突っ込む。そのとき、親指だけを外に出す。これはGaia Onlineのクールなエモ・キッズたちがこぞってやっていたポーズだ。彼は困惑したような目で僕を見つめる。でもかける言葉が思いつかなかった。
すれ違いざまに、彼が緊張していることがハッキリ伝わってくる。もしそこで僕が何か声をかけたら?もし「お前がネットでついてる嘘は、いつか全部本当になるんだぜ」なんて言ったら?きっと彼は「もう誰かがやったことだろ?」とバカにするだろう。そして、自分ではないまったく別の誰かになろうとするだろう。なぜなら、思春期の幻想が現実になった瞬間、それはもう憧れる価値がなくなってしまう。だから僕はあえて、何も言わない。彼の方を見もせず、声もかけずに、ただそのまま歩き去る。そして後悔する。
中学時代に起こった嫌なことのすべてが、走馬灯のように駆け巡る。誰かの何気ない一言のせいで、姿勢や仕草の全てが出来上がってしまった。どこかで聞こえた会話を「自分のことを言っているに違いない」と思い込み、「友達だ」と信じていた人たちの無関心に傷つき、そうして少しずつ作り上げられた防御で固められたのが、今の彼だ。あの安っぽい緑のコートだけが、なんとか彼のプライドを保っている。でも、たった3か月後、バカな鳥にフンを落とされた瞬間に、すべてが崩れてしまう。そして彼の防御も崩れてしまう。でももし今、「大丈夫だ、お前はちゃんとやっていける」、「お前が夢見てきたことは、全部、それ以上に叶うぞ」って伝えてやれば、そこまで傷つかずに済むことを知っている。
だけど、振り返って彼を追いかけようとした瞬間、僕はもう、カナダのオンタリオ州トロントにはいなかった。ここは東京、品川区の武蔵小山だ。店員が「お支払いは現金ですか?カードですか?」と聞いてくる。「カードで」と答えると、中学時代のお気に入りの靴の入った袋を手渡してくる。店員は「お話できて楽しかったです。次の旅行はトロントに行きます」と笑った。「大したところじゃないですよ」と俺は言う。「映画の中でしか、良さそうに見えない街ですからね」
Vansは7,000円。ジリ貧大学院生にとっては痛い出費だ。それに気付いた途端、ストレスを感じ始める。なんで履きもしない靴を買ったんだ?ただあの頃の自分の夢を叶えるため?本当に履く機会なんてあるのか?外に履いて行ったら、「イタいスケーター野郎」と思われるに決まってる。チェック柄のVansを何気なく履いて外出できる26歳なんて、どこの世界にいるんだ?「これ?覚えてる?『DARE』のMVのあの酔っ払ったデカいイギリス人、あれをちょっと意識しつつ、それよりもいい感じに着こなしたいんだよね」といっている自分を想像してかき消す。そんな言い訳を考える時点でダメだ。中学の頃はGorillazが好きだった。「Humanz」が出たときは少しワクワクしたし、いい感じだと思ったのに、それ以降は完全に興味がなくなった。昔のアルバム3枚は今聴いても楽しめるのに、それ以降のものが楽しめないなんて不思議だ。懐かしいけどこっぱずかしくなるような、Arcade FireやVampire Weekendを聴いたときの感じとは違う。じゃあ、なんで「The Now Now」や「Cracker Island」はこんなに退屈に感じるんだろう?・・・といいつつ、最新アルバムのタイトルをググらないと出てこなかったってことは、それぐらい興味がなくなってるってことなんだよな。
ん?僕はVansのことでイライラしてたんじゃなかったか?それにしてもこの袋、めちゃくちゃ重い。なんでVansってこんなに重いんだ?思春期の病の重さってことか?なんか2年前にアメリカでHot Topicに行ったときのことを思い出した。2010年以来久しぶりにトリップパンツを見つけて、マジで買おうか悩んだけど、24歳にもなってそんなもの履けるわけないって気付いて、やめた。結局何も買わずに店を出て、めちゃくちゃ落ち込んで、その日一日ずっと「トリップパンツを履くチャンスを逃した」って後悔してた。今から履いたところで、時代遅れだし、とにかく何から何までダメなんだ。たとえ今勇気を振り絞って履いたとしても、あの頃の気分や雰囲気とはまるで違うし、「こいつ、どんな職に就けるんだ?」って心配してる家族や友達にさらにいらない追い打ちをかけることになるだろう。
気づけばもう家に着いていた。靴を履いた自分を鏡越しに見つめている。下半身だけに注目すれば、この靴を履くのにふさわしいイケてる人間であるかのように思えてくる。でも視線を戻せば、そこにいるのは冴えない26歳の自分。そのまま鏡の中の自分と目が合う。漢字をどれだけ覚えようが、どんなにたくさんのゲームをやろうが、それが一体何だっていうんだ?そんなの何の意味もない。つまりこの靴を履くほどカッコよくなってねーんだよ、バーカ。
でも、あのタイムスリップの中で見た13歳の自分は、今の僕みたいになることを望んでいた。あの幻想はあまりにも魅力的で抗いがたく、家に帰って「あの通りで見かけた男になるんだ」と嘘をついた。そう、僕は自分ではない誰かになりたかった。でも問題は、僕は僕でしかいられない。だから、もし誰か別の人間になれたとしても、結局のところ僕は僕のままだ。昔、Gaia Online で数えきれない嘘をついたはずなのに、未来から来た自分の話だけはずっと記憶に残っていて、こうして文章にしている。自分の人生について飽きるほど嘘をついていたのに、その中でも一番信じられない嘘は「僕は僕ではない誰かになれる」だった。こうして自分が憧れていたその節目にたどり着いたとき、過去を振り返るのは、他人のことを思い出すようなものであるべきだと思っていた。実際、そう感じることもある。でも、あのとき見た少年のこわばった表情は、鏡の中で眉を寄せてこちらを見つめている男の顔にもまだ感じられる。僕はまだ、あの頃の不満だらけの中学生のまま、別の誰かになりたいと願っている。
クソくらえ、もう履いてやる。このままウジウジしてたら、何を着てもダサい気がして、またウジウジするに決まってる。覚悟を決めて、翌日そのVansを履いて出かけた。それを見た友達が「お、懐かしい」と言う。誰も僕の靴を見て「ダサい」とは言わなかった。勝手に言い訳しなきゃいけない気がして、「うん、中学のとき履いてたし、なんとなくまた履こうかなって思ったんだ」とか適当なことを言う。これじゃまるで衝動買いを正当化しようとしているみたいで、胸くそ悪い。あとは友達に口撃されるのを待つだけ。「足元がクロスワードパズルみたいじゃないか」「バンドのリハに遅れるんじゃない?」「エセスケートボーダーのくせに」と言われるのを覚悟する。まるでリンキン・パークの歌詞みたいに、「この惨めさから解放してくれ」と願いながら。そしていつの間にか固く閉じていた目をゆっくり開ける。でも何も起こらない。彼らはもう別の話をしていて、僕のことなど気にも留めていない。帰りの電車に揺られるその他大勢のサラリーマンと変わらない存在になった僕に、Vansがどうのこうの言う人はいなかった。
家に帰ってもう一度鏡を見る。ただ靴を履いた青年がそこにいた。今でも昔と同じように自分にキツイ言葉を投げかけることもできる。でもそこに映っているのはただの僕で、中学生の僕じゃない。それでも、時々あいつを見かける。寄せた眉間のシワの中に、緊張すると歪む口元に、ポケットに突っ込んだ不自然な手の動きに。でも、それに気づいた瞬間には消えていて、もう聴かなくなった曲の歌詞の中や、どこか忘れ去られた意識の片隅へと消え去る。いつか完全に思い出さなくなる日が来るのかもしれない。ただの記憶になるだけで、それ以上の意味をなさないものになるかもしれない。それが大人になるってことかもしれない。それとも、チェック柄のVansを買ったとしても8,000字も書かなくなることが、そうなのかもしれない。

翻訳:神原桃子
投稿日:2024年2月4日
日本語版:2025年3月30日
監修:アマスヤ・デニズ